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思い出すまま弟子日記・1

佐賀県有田窯業大学校で2年間勉強した後、私が選んだのは、弟子入り。

自分で土や釉薬を作っている方のところで勉強したい!と、最初に選んだところでは、見事に断られました(笑
「女には無理」この一言で。

なにくそーーー!と思ってはみたものの、3回通って無視し続けられたので、さすがにもうご迷惑おかけできないな、とあきらめたのでした(笑

その後、運よく、学校の先生が紹介してくださったのがわが師匠、藤ノ木土平。

最初に登り窯の窯たきをお手伝いにいきましたねえ。

で、窯たきあけに、朝ごはんでも食べていけ、といわれたのですが、授業に間に合いません、とお断りしたのが気に入られたようでした(笑
「男らしい」と。

いえ、あの、一応女性です。(笑

そうして、卒業後、2年間お世話になることになります。

とはいえ、すでによいお年頃になっていた私でしたので、毎日の仕事は重労働で、想像以上の厳しい毎日にあごがあがりっぱなしでした。

たとえば、薪運び。
これ、割木(いわゆる薪。長さがそろって、一定の本数をまとめてあります)の束を運ぶのと別に、背板と呼ばれるものを運ぶことがあります。
これが、、、はじめて運んだときはものすごくはぁはぁいいました。

木を板にするときに出る、いちばん外側の皮がついた部分とか、スライスの途中で出た薄すぎるものとか、いろいろあります。木材屋さんとかいろんな方が、トラック一杯につんで、ガサーーーっともってきてくださいます。
短いものでも1メートル50センチ、長いものだと3メートルくらいあったりします。
長いものは、適当な長さにチェーンソーなど使って切りそろえます。

これを、一輪車にのせて運ぶのですが、すこーしずつ運んでると、檄が飛びます。
「ホラー、そんなこっちゃ、仕事終わらんぞ!(怒)」・・・・・はーい(T.T)

運んだ先では、崩れてこないように、うまく積まなくてはいけません。これがまた一苦労。
下のほうはまだいいんですけど、上のほうになると届かなくなってきて、、、。それでもなんとか工夫しながら、いろんなところによじ登ったり、投げてみたり。
顔は真っ黒け。汗だく。ほこりまみれ。目にごみ(笑
こうして、丸一日かけて運ぶのでした。

もうね、お昼ご飯のおいしいこと!!!
唐津は新鮮な魚が豊富に取れますし、上場台地と呼ばれる土地で、果物や米など、豊富にできていました。
お昼ごはんの手伝いも、弟子の仕事。その当時私のほかにもうひとり弟子がいたので、交代で奥さんといっしょに作るのが日課でした。

このとき、料理上手な奥さんにいろんな料理を教えていただいたものです。

ある日のメニュー。さといもとあわびの煮物ゆずぞえ。これ、料亭のお料理だそうです。
な、な、なんだー!!!このうまさ!!!
経験のない深いあじわいに、つい叫んでました(笑
今考えると、昼間っからあわびですよ!
しかし、このおかげで、力を蓄えて午後からの仕事もできましたし、料理を覚えることもできました。

なにもかもが勉強の毎日。一生の思い出です。
そして、私の土台を築いた2年間。

ときどき、思い出して書き留めておこうと思います。

by 93hossy | 2008-06-17 02:29 | 弟子時代

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