どうして人は、悲しくても食べるんだろう

家族以外と会わない日が何日も続くと、
突然、用事が重なって、沢山の人と合わなきゃならない日がやってきます。

昨日はそんな日でした。
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入籍と同時に、母を看取った人。
結婚する友達のためにおめでとう動画を撮影して奔走する真心の人。
突然の来訪に笑顔をこぼしてくれる人人人。
私のために泣いてくれた人。

そして、古本市で買った、高山なおみさんのエッセイを読んで、
「どうして人は、悲しくても食べるんだろう」という一節に涙を流したのでした。

色んな人に会うと、その一瞬は、日常のほんの小さな一コマのようで、
私の脳の中では、本当に奥深く眠っている記憶を呼び覚ましてくれたりする
影響の大きな一瞬なのです。

特に今週は、私が普段普通にやっていることを話しているのを聞いて、
泣き出した人が二人もいたことが、
私に疑問を投げかけていました。

なぜこんな話を聞いて泣いてくれるんだろう?

おそらく、似たような経験をされていたのかもしれません。
もしかしたら、同じような傷を持っていらしたのかもしれません。

なんとなく、なぜ?と聞かないままでいました。理由は必要なかったから。
心のある部分が共鳴してくれたのだ、という事実が、
ひとりで抱えているものを少し軽くしてくれたような気になったからでした。

話はかわるようで、私の中では「泣く」というキーワードから、こちらへ続いていきます。

高山なおみさんのエッセイは、食べることや食べ物が記憶とはっきり結びついていて、
自分のそういう記憶も掘り起こしてくれました。

こどものころ、母の日のプレゼントを買いたくて、学校がえり、連絡もせず買い物に出かけました。
あれこれと悩んでいるうちに遅くなり、とっぷりと日も暮れていました。
家に帰り着くと、珍しく母が激怒していました。
こんなに遅くなって何をしていたんだ、買い食いでもしていたんだろう?!とか、
ちゃらちゃら遊んで悪いことしてたりしたら許さんけんね、とか、
もっとひどい言葉で罵られたことを憶えています。

心配のあまり妄想が膨らんで、ついつい叱ってしまった、と、今ならわかるのですが、
私は自分の気持ちを説明させてももらえず、いつも理性的な母が目を三角にして怒る様子をみて、
だまって涙ぐんでしまいました。
ひとしきり叱られたあと、「これ、母の日のプレゼント」と言って差し出して、
私はそのまま部屋にこもってしまったのでした。

プレゼントをもらうとき、母は一瞬、ハッとした顔をしたのが忘れられません。
それからしばらくして、部屋の前まで来て、
「プレゼント買いにいってたの?ちゃんと言っていけばよかったのに。怒って悪かったね。」
そういって、おにぎりを持ってきてくれました。
私は泣きながらおにぎりをほおばりました。
泣いても泣いても美味しいのです。
かみしめると、のりの香りとあまいお米の味が口いっぱいに広がりました。

この時の涙は、多分、なんでちゃんと話を聞いてくれなかったの、の涙と、嬉し涙と、半々だったと思います。

高山なおみさんのエッセイの、悲しくても食べる、の意味とは少し違うんだけど、
私はこの時のことをはっきりと思い出して、少し鼻の奥がツーンとしました。
とりとめもない、私の記憶にまつわるお話です。

沢山の人に会いすぎたかな(笑 
移動距離も長かったけど、感情も忙しい一日でした。
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by 93hossy | 2014-08-31 02:16 | | Trackback | Comments(0)

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